第20日目:第71番札所〜第80番札所 天氣:晴れ
6時15分出発。何だかんだで残された札所はあと18ヶ所。
もうすぐこの旅路も終わりなのね・・・ちょっぴりセンチになる私。
いつもながら早朝の走行は氣持ちがいい。約13kmの道のりを経て、

7時3分、第71番札所弥谷寺(いやだにじ)に到着。
なかなかの迫力で仁王様が私を出迎えてくれる。
しかし、自然が多いのはいいが、虫がウザったいのがたまらん。
蚊には刺されまくり、小さな虫がたかって、手ではらってもまた寄ってくる。
虫に好かれやすい体質なのか、誰か私のDNAを調べてくれ。
・・・そんなことはともかく、約530段の石段を通って、本堂へ向かう。
かなり険しい石段だ。油断してると間違いなく後ろに倒れて頭をカチ割ってしまう。
7時40分、弥谷寺を後にする。

8時14分、第72番札所曼荼羅寺(まんだらじ)に到着。
後で聞いたら、ここには善根宿(ぜんこんやど)があって、
無料で宿泊可能なんだって。
なんて、通り過ぎた後に聞いてもそんなの関係ねぇ!?
(このネタ、たぶん年内いっぱいだろうな・・・)
8時25分、早々に曼荼羅寺を後にする。
実は今日のハイライトはこれからなのだ。

まずは8時32分、第73番札所出釈迦寺(しゅっしゃかじ)に到着。
ここの寺院の山号は我拝師山(がはいしざん)というが、
この山の頂上付近に『捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがだけぜんじょう)』と
呼ばれている地がある。
何それ?と言われるだろうから、一応解釈だけしておく。
弘法大師が7歳のとき、『仏門に入って多くの人たちを救いたい。
この願いがかなわなくば、一命をを捨てて身を仏にささげる』といって、
この山の崖から飛び降りたそうな。そうしたら、釈迦如来と天女が現れて、
落下する弘法大師の身体を抱きとめ、『一生成仏』の旨を告げたらしい。
自分の願いが届いたことに感動した弘法大師が建てたのがこの出釈迦寺。
文字通り『釈迦如来が出た』という意味なのだろう。
それにしても、自分の願かけに山から飛び降りるなんて、常識では考えられん。
ともかく、せっかく四国くんだりまで来たのだ。ここは行ってみるしかあるまい。
まずは、捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがだけぜんじょう)の地のある奥の院のお寺を目ざす。
とはいえ、まずはそこまでの上り道の険しさがハンパぢゃあない。
これまでも上りは多々あったが、自転車を押して行けないことはなかった。
でも、これはダメだ。歩いても杖があってもシンドい。
とおもってたら、地元の人が、60過ぎているだろうに、杖無しでひょいひょい上っていく。
『なぁにぃ!?』負けず嫌いの私のハートに火がつく。もちろん、勝ち負けぢゃないんだけどね。
さて、実は奥の院までが実は序の口だ。そこでいったん荷物を置いて、
そこから弘法大師が飛び降りた地までにさらに山を登る。
文字通り、ロッククライミングだ。全身の神経を集中させて、崖を手でつかんで登っていく。
もはや非常識を通り越して、クレイジーだ。
他のお遍路さんがここまで来ないのも納得できる。というか、来れないだろうね。

8時45分に出釈迦寺を出発してから、9時21分、
ついに弘法大師が飛び降りた地に到着した。
いわば『聖地』といったところであろうか。
『9時21分』というけど、当時は時計を見る余裕なんてない。
後でデジカメの撮影時刻をチェックしてわかったのさ。

これが、その地からの地上の眺め。
でも、たぶん写真では伝わらんだろうな、この絶景の感動はさ。
でもここは山頂ではない。この後さらに登りはあるのだが、ここで事件は起こった。
山頂から下ろうとして、山林に入り込んでしまった。
かろうじて、木には幹に塗られたペンキや、枝に結ばれた布があるので
それを手がかりに下りていったのだが、途中でその道しるべを見失ってしまった。
しかも、めったに人が足を踏み入れない地なのだろうか、
そこかしこにクモの巣が張り巡らされている。
まずい・・・さしもの私も頭の中でアラームが点灯した。
まだ陽が出ているとはいえ、このまま山から出られず日も暮れてしまえば
間違いなく遭難だ。きっとそうなんだ。
いったんものごとが悪いほうに進めばどんどん悪いほうに悪いほうに考えてしまう。
自分の頭の中ではレスキュー隊に保護される自分とそれが報道されるニュースの映像が浮かぶ。
ここはいったん立ち止まろう。そして、山頂にまで戻り、もとの崖を下ることにしよう。
いのしし並みに、進むことしか考えない自分にとって、まさに英断だった。・・・これは大げさか。
ともかく自分の位置は今どこにいるかはわからないが、山を降ってきたことは確かだ。
だから、ひたすらまた登っていけばいずれは山頂に戻れるだろう。
最後はカンと楽観的な考え、そしてそんな自分を信じることだけだったのさ。
さあ、ハラが決まればあとはやるだけだ。もはや道しるべは必要ない。
上りが険しければ険しいほど、山頂に戻っている。そう解釈しながら登る、登る・・・
20分ほど過ぎたぐらいだろうか、のぼりが緩やかになっていく。
やったぜ!!
何とか山頂に戻ることができた。
さぁ、あとは最初の崖をまた戻っていくだけだ。・・・って言葉で言うのは簡単だが。
ロクに登山の経験がない私にとって、崖は登るよりも降りるほうがかなり難しい。
のぼりのときよりもさらに全神経を集中させる。
(
こんなところで死ねるか?)(
これは練習ではない、実践だ・・・)
自分に言い聞かせる。
たぶん、高校受験のときよりも全然集中していたことは確かだ。
そして、10時50分、奥の院まで無事戻ってくることができた。
全身を見渡してみたら、クモの巣だらけ。さながら一人スパイダーマンだ。
しかし、あのまま山林を降り続けていたら、もしかしたら今の私はいない・・・いや、本氣で。
しかし、奥の院の坊さんも誰も教えてくれないし、
せめて山林へは通行禁止にしたほうがいい。経験者としてはそうおもう。いいネタにはなったけど。
さて、捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがだけぜんじょう)の話が長くなってしまったので、
ここからはダイジェストに一氣に話を進めちゃうことにする。

10時50分、第74番札所甲山寺(こうざんじ)

11時15分、第75番札所善通寺(ぜんつうじ)
ここは弘法大師生誕の地ということで、ことさら広くてゴージャスだ。
東院と西院とにわかれていて、総面積が45万平方メートル。
東京ドームのグラウンド面積が1万3千平方メートルだから、
ざっと東京ドームの40倍以上の広さといったところかしら。
そういえば、街自体が善通寺市と、
このお寺の名前がついているぐらいだものなぁ。

12時6分、第76番札所金倉寺(こんぞうじ)

12時20分、第77番札所道隆寺(どうりゅうじ)

13時58分、第78番札所郷照寺(ごうしょうじ)
写真にこそおさめなかったけど、
山門前で野宿しているらしいお遍路さんがいた。
もともと個人的に野宿はNGだけど、そこに寝泊りするのはいかがなものか・・・

14時55分、第79番札所天皇寺(てんのうじ)。
このあと、写真でおまいりしているオジサンに変にからまれる・・・

天皇寺で他の若いお遍路さんと知り合いになり、
この近くに、地元でとても有名なところてん屋があるらしい。
一緒にいってみることにした。
←『清水屋(きよみずや)』のところてんは、添加物を一切使わないらしい。
小さいサイズなら、200円前後で食える。
ところてんを食べるのは生涯2度目だ。
最初はいつだったかとうに忘れた。
ところてんをすすりながら、いろいろな話を聞いた。
若いとはいえ、そのお遍路さんは私と同世代の30代前半で、
すでに一度順打ちしており、今回は逆打ちしているという。
何でも、一度お遍路さんをした人は 『お四国病』にかかり、
いったん二度とくるかとおもっていても、また来たくなっちゃうらしいのだ。
しかも、逆打ちだとあまり他のお遍路さんと知り合う機会がないらしい。
だから、知り合った人とは一期一会で出会いを大切にしているとのこと。
やっぱり一度やり通した人間は何かが違うなぁ、と感じた。
なんていうか、一度ハラが座っている。お互いの無事を祈りつつ、出発。

そして、16時11分、本日最後の第80番札所国分寺(こくぶんじ)へ到着。
しかし、今日はなんと言っても、捨身ヶ嶽での遭難未遂に尽きる。
あれにくれべれば、今までツライとおもってたことなんて本当に甘っちょろいことだとわかった。
『しょせん、すべては小さなこと』ってことか。
ということは、
この遭難未遂事件もやがては小さなことになるのだろうか・・・
(第21日目に続く)
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